さくらさくら
元歌歌詞
さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん
さくら さくら
やよいの空は
見わたす限り
かすみか雲か
匂いぞ出ずる
いざや いざや
見にゆかん
もう1つは昭和16年に改められたもので、現在音楽の教科書等にはこちらの歌詞を掲載しているところもある。 こちらを1番、前述の元の歌詞を2番と扱っているものもある。(1941年(昭和16年)3月「うたのほん 下」)
さくら
さくら
野山も里も
見わたす限り
かすみか雲か
朝日ににおう
さくら さくら
花ざかり
あなたはどっちで習いましたか?
ぼくは「やよいのそらは」で習ったね。
「野山も里も」「朝日におう」では、どうもしっくりきませんぞ。
「野山も里も」「朝日におう」では、どうもしっくりきませんぞ。
もっともなぜこうなったかと言うと、「やよいのそら」にソメイヨシノはまだ咲かないからだろうな。一般的に日本本土の東京以西では、三月に咲くさくらは山桜ですからね。つまり下の歌詞は、東北や北海道や沖縄まで意識した歌詞となりましょうかねえ。中心部の季節感よりも広く一般的にしたということなのでしょうが、そういわれればかえってむかつく人もいるかも。昭和16年に作られた歌詞ということは、第一次大戦のころなので、たぶん、全国的に桜=日本人意識の浸透によって広く全国から徴兵できるという感じでしょうか?
ぼくら戦後教育を受けた世代以降は、それ以前の人々のような、敗戦=左、反戦という極左的な刷り込みがないから、今回の集団的自衛権にまったく抵抗感がないので、「そうか支持率が高い今しか、この法案はとおせないよなあ」と理解できる世代である。反対勢力のご意見からは主観性しか感じない。いったいどこから「戦争反対」などが出てくる余地があるのかがまったくわからない。どこに戦争しますと言っているんだろうか?自由に自衛隊が世界平和に貢献できるシステムができつつあることが、どうして戦争直結になるのだろう?もっとわかりやすい説明をとか言っているけれど、聞く耳を持たないものがわめいているだけにしか見えないのだ。ちゃんと客観的に平和の本質を見ているのかなと感じる。現段階では人類の平和的均衡はこうするしかないのだ。長い目で見ればもちろんそれだけでは駄目である。しかし、今は最善の方法はこれしまあるまい?
負け犬・平和ボケでいることが日本人のステータスだなどとはあまりにも次元が低い。それでは中国や韓国の思うがままではないですか?年寄りの嘆きに共感はできないなあ。マスコミもこういうときは左よりになるんだ。にわかリベラリストに。そんなのは「にせの平和」なんだよ。平和とは勝って手にするものなのです。ロシアや中国の台頭は押し込めねばならない。力ではなく、抑止力で。
野山も里も
なんて歌詞は、事態をあいまいに誤魔化すだけの同化策じゃないの?
亡国・敗者の思想ですよ。