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気候に応じた土器様式の変遷と問題点

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縄文土器の変化とボンド・イベントとの相関関係図

イメージ 1
安斎正人『縄文人の生活世界』より





近年の土器分析技術は飛躍的な向上を見せている。
手助けしたのは年代学だ。
AMS(加速器質量分析)法による放射性炭素C14 年代測定法 の暦年較正が可能になり、国内外の考古学的事象を正確に対比できるようになっているようである。



また、古気候学によっても、データが十分に蓄積され、高解像度のデータがそろってきたことも大きい。いわゆる年縞による深海底堆積物コア分析である。

この二つの発展が、結果的に縄文時代の長期間の文化的・社会的変動課程を検証することを可能にした。



工藤雄一郎は、更新世末期~完新世初頭の気候変動を五つの段階に設定し、考古学の編年との対照を行っている。気候の安定期と不安定期よって、土器形式を詳細分析した。

その結果、
最終氷期の最寒冷期以降から約15560年前には「細石刃石器」が隆盛し、
約15560年前から約13260年前には「神子柴・長者久保石器群+無文土器」、
約13260年前から約11560年前は「隆起線文期段階」、
約11560年前から約9060年前は「爪形文・多縄文期段階」
それ以降では「より糸文期段階」

がそれぞれ隆盛期であると明確に区分したのである。(『旧石器・縄文時代の環境文化史』2015年)




工藤はボンド・イベントに加えて、中国南部のドンゲ洞窟の石筍(せいきじゅん・鍾乳洞内部の石灰分の柱)の酸素同位体変動、さらには鳥取県東郷池の年縞堆積物、関東平野の海水準・植生変化などのデータを駆使して、後氷期関東平野の環境史と土器形式の時間的対応を提示している。

参考 安斎 2015








つまり冷涼期には冷涼期に対応した土器、寒冷期には寒冷期に対応した土器が、それぞれ流行したということを工藤はデータによって明らかにしたのである。


イメージ 2
冷涼期1の土器の一例 加曾利E式





イメージ 3

温暖期2の土器の一例 黒浜式

(あくまで一例である。ほかの土器形式画像にも当たってみること。Kawakatu)





あとの問題は、こうした様式の変化は、果たして気候に応じたものだったのか、民族の変化によったものなのかなどの、いわゆる人間の取捨選択分析にあるだろう。
そして前者が答えであるならば、それらの形状のいったいどこに冷涼や温暖という気候変化に有効な意味があるのかも分析されねば、工藤の調査は意味をなさなくなってしまいかねない。

単純に考えれば、寒ければ土鍋のように効率よく温度を高め、しかも保温もできる厚手の土器に、暑いときなら逆になる?などの生活感のある分析。あるいはそれが祭祀土器なら、どのような祭祀様式の変化があったのか?などなどである。

科学者はここまででもいいだろうが、それは数学の答えでしかなく、なぜそれが適していたかという文系的な客観分析が伴わねばならない。そしてそれは確かに素晴らしい大発見なのだが、「なぜその形になったのか?」が「歴史を反省材料や生きるヒントにしたいわれわれ」には最重要である。そしてそれが古代学でもある。本当にボンド・イベントによる気候変化が土器の形状を変えたのか?である。ここを解明できて初めて工藤の努力は花開くのではなかろうか?それを実行できるのは彼ではなかろう。



原爆を造りました。落としました。
ではダメなのである。
では、その結果、人類がどうなったか、どう対応したのか?そこに合理性はあるか? が実は学問の最重要な肝なのだ。数学や科学だけでは何も役に立たない。重要なのは常にその意味である。










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