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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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卑弥呼の源郷=テン王国 中華思想は地球破壊者の思想

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長江流域と日本は同じ温帯照葉樹林帯に存在し、文化があまりにも似ている。
それは稲作漁労民としてのインドシナ半島の文化や台湾先住民の文化にも似ている。
海を渡り、太陽を信仰し、ハレの日に着飾り田植えをする。
太陽神を銅鏡や銅鼓に描き、巫女は太陽の巫女である。
安定期には必ず女王を擁して、殖産の象徴である蛇のついた杖を持った。

まずは今日のBSNHKからベトナムのモン族の晴れ着での棚田での田植え風景を。

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日本のお田植え祭でも往古の赤裳の襦袢をちらりと裾に見せて、深紅のたすきがけで田植えする。あるいは茶摘みでの茜たすきもそうだが、それがハレの儀式だったからであろう。

アジアの稲作漁労民の晴れ着を織る機織り器を見てみよう。


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狩猟牧畜民族との違いは歴然としている。必ず地面に尻をつけて作業する。
これは弥生の倭人もまったく同じであった。

あきらかに倭人とは長江から離散した似通う遺伝子のもとに往古「同族」だった。同じ祖先を持った兄弟なのである。



太陽を意匠とした共通性

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蛇を永遠の命、再生儀式の象徴とする

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志賀島金印と滇王国金印だけが蛇の鈕を持つ。
華北人は長江文明人と倭人をどちらも蛇の民族=漁労海洋民族と認識していた。


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石寨山遺跡女王墓の蛇の杖


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蛇の道具に太陽紋








今でも蛇は商業の神で、商業高校の紋章になっている。殖産の象徴である。
蛇の脱皮した皮を財布にいれたりする。お金が増えるまじないである。これは西欧のヘルメスの持つ杖に蛇がからみつくことで共通した世界観念だが、エーゲ海、地中海に面したギリシア文明やローマ文明も、もとは中東やケルトやスキタイの影響で文明を築いたからであり、その淵源はやはり海洋漁労民に求められる。









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ミャオの蘆笙柱を反時計回りに回る収穫祭
蛇がからみつく

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二匹のオスメスの蛇がからみつき交尾する形状は日本の注連縄そのものである。
蛇の交尾は10数時間続くという。これもまた雌雄合体と繁栄のしるしだ。


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蛇の巻きつくポールで生贄儀式する銅鼓型銅器テン王国 雲南省博物館




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日輪信仰と鋸歯文魔よけの共通性
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高床式

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神社そっくりな高床式住居がテンの貯貝器にある。
そこにやはり蛇がからみつく。





これ以外にも、まだまだ共通点はあるだろう。

なぜ似ているのか?
前の記事に書いたとおり、彼らの祖先が、3500年前の地球寒冷化によって南下してきた畑作遊牧民文化である黄河文明人という肉食人によって圧迫されたときに、離散させられた共通の先祖を持つからにほかならない。

では、なぜ、今、現代日本人の遺伝子から彼らの共通する南部長江民族の特徴が薄くなっているのか?

遺伝子学は一時期、日本人の祖先は北方系バイカル湖から分岐するのであり、それは華北人や朝鮮民族と共通するとした。しかし、それはさらに古い原初的な分岐であり、すべての東アジア人のDNA遺伝子の根幹にあるものだから消えなかっただけである。おそらく永遠に消えない深い刻まれ方をしている。しかし、その後、再び寒冷化は起こり、民族は南下した。黄河から中間を占めていた彼らが、また北方からの漢民族によってさらに東西南北へ離散する。このときの共通因子は今の中国の周辺諸国でみな、薄いけれど共通し、その中にベトナムやチベットや韓国南部や西日本人になった倭族という共通性が残存するのである。だから長江文明人の遺伝子も、大元はバイカル湖北方系だったのであり、その中でも長江河口部を経た少数貴種が日本に逃れたのである。これがまず最初に有明海にたどり着く。おそらく菜畑遺跡のある佐賀県あたりと、南九州の鹿児島西岸あたりであろう。これがやがて邪馬台国と狗奴国へと分離するのも寒冷期である。

そして倭国大乱と後漢の滅亡が起こり中国は五胡十六国時代の戦乱を迎えておりリンクしている。やがて小温暖期のわずかな百年ほどに双方が安定期を迎えた頃に三国時代があって魏が勝利すると、それまでは共に故郷である南朝へ向かっていた政治は、邪馬台国の卑弥呼がいちはやく勝者魏に通じたことで、倭国の正統王統は狗奴国から一気に邪馬台国に傾いてしまったのである。

しかし卑弥呼もその源郷は、卑弥弓呼と同じ長江にあった。だから魏に朝貢しても欲したのは南朝の薫り高い神仙思想の呉鏡だったはずである。これは日本の九州にも大和にも共通する祭祀観念である。しかし大和は、やがて卑弥呼たちの存在を忘れてしまっている。それは邪馬台国の衰亡を語る。彼らが日本海を通じて血をまじらせた華北や朝鮮の北方系文化を取り入れ始めたからである。南朝の記憶は遠くなっていくほかなかった。

高床式の家や、神社形式や注連縄、あるいは日本語、などなど、風習のすべてにテン国の香りを残しながら、文化を残して邪馬台国文明は消え去ったのであろう。



現代、見えてくるのは、華北の畑作牧畜民族の文明は、西欧文明と非常に似通っており、彼らが中国に持ち込んできた言葉の文法が東アジアでここだけ違うことや、また食文化としての羊や豚の長期的飼育が、かつての豊かな自国の森林や草木をあっというまに砂漠へと丸坊主にしていったという事実だけが、西欧そっくりなのである。

安田も言っていることだが、牧畜は自然の広大な緑をそれこそ駆逐し、自然と融合せずに、切り開きつくす文明=科学による冷徹な理科系的乾燥した即物的・現世利益的、経済優先的文明しか残さない、地球の破壊者としての道を歩むものである。

倭族の共通点は、大自然にさほど干渉せず、牧畜よりも漁労採集を主とした水耕稲作文化であり、観念のうえでもウエットで、あいまいで、自然に溶け込む和の文化だということであろう。


それを今、再び、中華思想が侵食しようとしている。歴史は繰り返すのだ。
悪貨は早めに駆逐すべきなのかも知れない。



倭族は倭族のかつての和の文明を取り戻すべき時期に来ている。









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