長江文明人を構成した倭族(稲作漁労民)は蛇をステータスとし、黄河文明人を構成する漢民族や西欧人は龍やドラゴンをステータスとした。
つまり蛇の思想と龍の思想にはあきらかな違いがあることを知っておくべきである。
蛇のオス・メスの交尾は、女・男(陰陽)和合こそが生命の根源=宇宙の摂理=渦巻きであることを表現している。
宇宙の摂理の姿は常に螺旋、渦巻きの姿で表され、科学で分析されたDNAの螺旋を髣髴とさせる。蛇のオスメスのねじれたまぐわいの姿は、神社の注連縄がそうであるように、彼らが大自然・宇宙と融合して生きる思想を示す。
それは自然の征服者・侵略者たらんとする龍の姿ではない。
龍もドラゴンも想像上の生物であり、これを思いつく人々が、倭族のような自然そのものを身近に見てきた民族ではなく、空想するしかない人々であったことを如実に語る。
漢民族の作り出した生物は、いずれも空想上の妖怪や怪物であり、そこに自然にあるがままのモノとの融和はない。即物的で、弱者を侵略・搾取する即物的で経済中心的で現世利益的な、「乾いた思想」だと言える。
ヤマタノオロチとスサノヲもそうである。
ヤマタノオロチは大蛇であり龍ではない。
一方スサノヲはヤマタノオロチ=氾濫する河川(暴れ川)を治水という暴力で圧倒し、武器=既存の長江文明を手にする=簒奪者として登場する。
それを中国の尭・舜・禹・黄帝などの登場する神話と比較すれば、蛇の民族を龍の民族が征服し、蛇の思想に龍の思想が覆いかぶさって吸収合体したうえで、先住者であった蛇の思想を悪辣非道な妖怪や怪物にしていく過程が如実に見えてくるのである。敗者はその瞬間から悪霊・悪鬼となり被差別者とされてしまうのだ。
つまりそれは勝者による敗者の弾圧と差別の歴史である。
龍=黄帝=征服者=スサノヲ=黄河=畑作牧畜民 敗者から見るとこれらは暴風雨=治水である。
蛇=伏羲と女媧=ヤマタノオロチ=長江=稲作漁労民 勝者から見ると悪・氾濫である。
神話はたくみに先住者の神々を取り込みつつ、そこから禹が生まれて、尭・舜が未完に終わった長江の治水=倭族の平定を成し遂げたと高らかに描く。しかし禹も尭・舜ももともとはみな南朝・長江人の祖神であり、神農もそうであったものを、黄河人が簒奪してしまった。自分たちもそこから生まれたとしてしまうのである。
これが破壊者・侵略者の思想である。
現代風に言えば、自衛権を持ったとたんに戦争しはじめる怪獣たちの思想がこれなのだ。しかし蛇の思想は円=太陽と山を大地母として、稲作農業と言う女性中心社会でつらぬかれ、自衛権はただの「杖」であり、決して進んで行使しない。自衛権は来るならやるぞという意思の表れ・・・つまり抑止力として持つだけである。現代の日本の為政者がどちらであるかが、判別の鍵になる。
原子力という象徴を、ただ持つだけか、使ってしまうかの民族的卑賤の違いである。
そういう意味で、現代中華も米英仏も、その自然の破壊者であり、同じ穴のむじなだとわかるはずである。
続く
ここまでの参考文献
安田喜憲 『日本神話と長江文明』
池上正治 『龍と人の文化史』
安斎正人 『縄文人の生活世界』