蛇の思想では、蛇=太陽=山=女系社会=稲作=魂の姿 である。
福島県泉崎横穴墓の鋸歯文
通常、鋸歯文(きょし・もん)はサメの歯型とされ、海中に没する海士や、南朝の漁労採集民たちの魔よけであると解釈されて来た。だがそれだけではなく、鋸歯文は連続三角紋としての理解もある。それは蛇の鱗、あるいはデザインでもある。
「毒蛇は急がない」というタイの諺があると開口健は書いた。
毒をもつ生物は一般に派手な衣装を着ており、頭が大きく、一見して自分が危険な存在であることを意思表示する。それによって外敵からの無用の攻撃を少なくしているのだ。これは明白な抑止力である。
台湾少数民族のパイワン族Paiyuan, Paiwanやルカイ族Rukaiは、蛇をステータスとし、そのデザインに鋸歯文を使用する。
その三角形の連続は、同時に、彼らにとっては太陽の光としても使ってある。
パイワン族の太陽紋
三輪山の大物主は蛇体の先住者の山ノ神であるが、その三輪の形状は蛇のとぐろを巻く姿をしたコニーデである三輪山そのものである。
三角、太陽、山、蛇のすべてが神を表すのである。
中国南部の海岸部、青海省新石器時代の「同心円紋彩色土器」には、渦を巻く同心円が行き着く果てには蛇の鱗に変化する。これが倭族の宇宙観である。
太陽は渦巻きでもあり、また魂の根源でもある。
福島県清戸迫横穴墓 反閇する人と渦を巻く霊魂
九州 千金甲(せごんこう)古墳 同心円紋
これもまたとぐろを巻く蛇、太陽、山を示すデザインである。つまり彼等はみな倭族である。水中に没して魚介を採ると書かれた倭人である。その祖先は大陸北部人ではなく海岸部の人々でなければならない。つまり長江河口部や海南島や、済州島や半島南部の伽耶や百済に由来する海人族でしかありえまい。
このように、畑作牧畜民と稲作漁労民の間には、思想の明白な違いがあり、日本人本来の思想はむしろ稲作漁労思想でつらぬかれてきた。生活様式も、信仰様式も、女系社会であることも、体躯が小さいことも、すべて倭族を示している。
そこに畑作牧畜民がやってきて、彼らを支配する。それが日本の出雲神話の言いたいことである。その言いたかったことというのは、中央の記紀にしかかかれておらず、出雲風土記には描かれてはいない。だから記紀が言いたいこととは、大和中心の、記紀が成立した時代での為政者のコンセプトでしかないのである。
だが、縄文からの考古学は、私たちにそうは語りかけてはこない。九州にも日本海にも、それに従った人々は登場してきても、それ以前は明白に倭族・海人族としての長江文明的な生活様式しか出てこないのである。つまり、出雲国譲り神話は虚像である。
黄河文明的な帝国主義的な乱やその統一が起こるのは弥生後半~古墳時代、3世紀卑弥呼の時代直前からである。九州の甕棺墓にはその痕跡が如実に戦闘遺骨として埋葬されている。だから黄河文明と長江文明の相克が東アジア各地に伝播して、本国中国では三国志の奪い合い、日本では倭国大乱として記録された。もっと広く東アジアを調べると、ベトナムや三苗だけでなく、北方、西方、南方などへの漢帝国の侵略記録、反乱記録が同時代に横溢していることに気がつくはずだ。
その最大の原因が気候変動である。
したがって、倭人とは、つまり長江からやってきた人々と、先住縄文系古モンゴロイドや北方先住民たちとのハイブリッドしていった新日本民族である。龍の文化を持った漢民族や新羅や高句麗系の牧畜・遊牧民つまり騎馬民族がやってきたとすれば、彼らより後の時代である。そこから古墳と言うヒエラルキーの産物が初めて大和に登場するのである。ということは卑弥呼の墓が前方後円墳であるはずはない。ないのに、そうであろうと推測されるのは、彼女が当時のまとまらない時代状況でしかたなく共立された、古い時代の長江由来の和の支配を採用するしかなかったからにほかなるまい。黄河文明的な強硬支配体制では倭人たちは納まらない民族性が強かったのである。
だから卑弥呼というカリスマ巫女が死ぬと、また国は乱れ、結局再び臺與が選ばれる。稲作と漁労を中心にする限り、倭人社会は常に混乱するたびに女系王、巫女王を引っ張り出さねば収まりがつかない国家だった。
それは稲作も漁労採集も、その生活の中心には、いくさを想定しない計画的なカレンダーによる季節指数が多大な収穫を左右する社会だからにほかならない。
獅子のように、移動しながら狩りをする侵略国家には、男の体力が不可欠であり、常に仮想敵国を念頭において戦う専門集団を抱え込む必要がある。しかし日本の歴史でそういう集団が登場するのは平安時代後期の平家の登場以後である。要するにそれまで、いやその後もしばらくは、日本のいくさは農繁期を避けてやるしかなかった。織田信長が戦闘集団を初めて作ることで武士という殺人・殺戮専門集団がやっと確立するのである。
しかし中国では、古代からそれがあった。
稲作とは違い、畑作がさほど作付けや管理を必要としない農業であったこと、そしてなによりも彼らが牧畜や遊牧と騎馬を習慣としたために、太陽や雨やに左右されない殺人集団を持てたからである。それは西欧でもまったく同じであった。
これはまるで草原、砂漠の思想である。
気候の変動によって気ままに大陸内部を侵略した蒙古やフンの文化である。
ダイナミックだが反面おおまかで、雑で、野蛮で、生肉をくらう野獣の思想である。
毒蛇のように体内に猛毒を持たない彼等は、自分自身を野獣にするしかなかったのだ。これがやがて植民地主義・帝国主義を生み出す基盤である。
すなわち明治~戦前の政府は、英国やアメリカから、そうした野獣の思想を取り込み続けた。そしてその野蛮さに折り合いをつけるためにキリスト教博愛主義を取り込もうとした。しかし日本でキリスト教は根付くことがなかった。なぜか?
その理由は、かつて龍の思想・星の信仰がわが国に根付かなかったことと同じである。われわれの魂の奥底に、1万年の倭族としての和の思想・太陽信仰があったからにほかなるまい。自然と同化する宇宙の摂理である毒蛇の思想が、急がない、攻め込まない思想と、有事には逃げればよいという生き方を選択させる。
それは今後も変わることはない。
ドーム型=宇宙の屋根の下で反閇する人々 空には渦巻き型の太陽が
太陽は蛇
蛇はセックスと繁栄
永遠の連環
しかし、その倭の思想はある日、突如として破壊され、分断された。
太陽の形代であった鏡もまた打ち壊された。
騎馬民族がやってきたからだ。