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ハザードマップを過信しない/本当の日本人のふるさとは京都ではなく

ハザードマップはあくまでも官憲からの危険地帯基礎知識でしかないと自覚し、居住地に住んだのは自己責任であると理解して、周辺の地形とその危険度、過去の記録などに当たっておくほうがいい。

たとえばこのサイトにいくと、全国各地の要所の縄文海進図を見ることができる。
これもおおまかに参考にはできるだろう。

温暖化で日本はこう沈没するhttp://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/267/

これらの低い場所は水没、洪水の危険地帯である。






九州の人にはかなりショッキングな画像がある。

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イメージ 1

もちろんかなり空想過多な画像だが、これぐらいに思っているほうが確かに間違いは減る。

中央部を斜めに縦断する海は、かつてここが海であったこと、あとから隆起した土地であり、今も海抜が低い、水と溶岩流の通り道となりえる場所であることを示していることになる。つまりここには中央構造線という巨大なくぼみがあるのだ。この地図のような海進が今後もし起きれば、筆者の家などは、この巨大な「川」のど真ん中に取り残される台地の上にかろうじてひっかかるのである。



先日大洪水が起こった栃木県・茨城県の鬼怒川流域は、縄文時代はこうである。


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イメージ 2

もし先祖やあなたがこれを知っていたら、ここに住んだだろうか?




筆者が古代史を楽しむに当たっては、広く先史時代から視野に入れるのは、人々の生活や風習はそこまで遡ってみなければなかなかあとの時代のことが見えてこないということと、先史時代からの地形によって人々が受けてきた災害(つまりこれを古代人は災害神、地球大地の母神だと感じたわけである)の歴史、環境変動の歴史とそのメカニズムまで知らなければ何もわからないと感じたからだった。

その視野は、時には地球史、宇宙史まで広げてみる必要があった。そうやってはじめて、現代の日本人、江戸時代以前の日本人の特に民衆の生き様が見えてくる。記録にあるのは為政者・・・貴族や武家のためだけの歴史でしかない。学校ではそれしか教えてはくれない。しかしそれは正しい歴史とは言えまい。歪められた為政者にとって都合のよい記録だけ読んでいるのでは、肝心のわれわれの祖先の生き様はまったく感じることができない。

しかし、ここに考古学や地球環境学などの考察を加味することで、記録よりもかなり実際の古代像に迫れるようになる。

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イメージ 3
ヤンガードリアス寒冷期に始まる急激な温度上昇は、海水面を今の水面より100mも高くしたと考えられる。その証拠に、この図が示すように縄文貝塚遺跡は、みな水色の海進部の真上の丘の上に集中する。そこが当時の海岸だったのである。

タモリはそういうことが大好きな人で、移住した土地の地形をかなり専門家並みに調べて知っていることが番組から見て取れる。筆者が視聴していて、「ほう!それを知っているか、この人は」と感じ入ることもたびたびである。

例えば短期出張であっても、あるいは仮の住まいと思っていても、引っ越せばその土地の地形や歴史には一度は当たっておくのは現代人の当然の危機管理の姿勢である。だから筆者がそれに気がつき始めた27歳頃、勤労生活の場とした大阪市の歴史文献には、まずすぎに当たってみた。あちこちを歴史探索しながら、もうひとつの目的はいつも、その土地の地形や過去の災害史である。するとそれが歴史につながる。なぜそこにそういう神社や祠があるのか?の答えは史書や神社伝承よりも、地形や環境史に横溢しているのだ。



環境考古学という研究が最近大流行し始めている。現代の環境変化が一般人にも「なぜ?」を提起し始めているからである。


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イメージ 5
安斎正人『縄文人の生活世界』より
縄文人は賢い?いやそこが海岸線だったからそこに住んだだけだ。
稲作が日本になかなかやってこなかった理由のひとつに、縄文海進による台地が水耕稲作には不向きだったという見方があると思う。台地の上にはまず水がわかない。そして河岸段丘の地質は低湿地のように肥沃ではなく、酸性が強い傾向にある。
だから倭人は早くから鹿児島やらに来ていても、稲作は今の平野が出現する時期まで後回しになった。そこで仕方なく彼等は古式陸稲をするしかなかったと見る。
水耕稲作の渡来は、ちょうど地球史で4000年前の寒冷化、3500年前の寒冷化で長江から渡来がやってきてから下がって、温暖化によって海水面が今の平野を表す紀元前300年前後まで待つことになった。そこからちょうど弥生時代が始まるのである。
最も長江から近くて、早く海面が下がっていたのが佐賀県菜畑や有明海の筑後川河口部の吉野ヶ里周辺だったのである。だからここを水沼(みぬま)と言う。あらゆる現代日本人の生活に貫かれる江南的な生活感覚と文化形態、祭祀形態が、菜畑と水沼から始まったと言える。つまりそこが日本人の本当の源郷である。日本人のふるさととは、京都でも奈良でもなく、ここである。






それと生活の場と労働の場の問題も考えなければならない。
家にいつもいるのは老人、子ども、主婦だけで、男は外で働く。人生の大半、労働者は家よりも外で生きている。その労働環境についても知っておきたいはずである。外で営業などしていたら、どこでどんな災害にあうか知れたものじゃないが、常に動き回っているとその確率は確かに低くはなるだろう。動くか動かないかしか人間にはできない。地下にもぐって、地下要塞にでもこもって暮らすしかなくなる。それでは生きている意味がなくなるし、シェルターだって100%安全とは言えない。洪水では、土ごと流されるかも知れない。まして、このあいだの鬼怒川洪水では、福島の汚染物質の袋が土中から海へ流された。日本人はまるで上田正樹の歌のように「みんな海へ流してく」。それを不浄の清めと考えている限りは、東電もまた古代のままだと言うしかない。




家は安い買い物ではない。人生で一度か二度しか買えるものではない。だから自分でよく調べておくのは家族にとっては君の義務である。あなたが義務を怠れば、結局、家にいる家族が被災する確立が高い。

また人生の三分の一は人間は寝て過ごす。災害は夜中に起こることが多い。
そうなると夜も眠れなくなる。

60を過ぎると、老人はだいたい夜眠れない。せいぜい3時間くらいしか続けて睡眠できない人が多い。だから誰よりも外の物音について早く感じ取れる。ところが感じても体がいうことをきかない。なのに家族はおじいさん、おばあさんの部屋を二階にしてしまう。子どもも二階が多い。水難には二階は安全性が高くなる。しかし地震では最初に天井がぬけて落ちてくる。いざとなったら階段を下りねばならない。階下で寝ている主人夫婦には頭上からじじばば、がきが降ってくる危険がある。


いくら地形を調べても、地震だけはいつどこに起こるか知れたものではない。いくら構造線を避けたところで、プレートの淵で起きた揺れは、あらゆる場所に振動と波を伝える。


じゃあ、いったいどうすればいいんだ??



なにもありませんようにと、毎日祈るしかないのが実情でしょう?
じゃあ、古代人とどう違うの?でしょう?



神の前で、人間なんかそんなところでしょう?



岩の様に泰然自若ではいられない。
だから古代人は巨石はえらいやっちゃと尊敬したのである。





心配ない、私たちがもし死んでも、種は生き残る。
人類はそうやって、災害や巨大な天敵から身を隠して生き残ってきた弱いねずみの子孫である。誰かは生き残るから安心しなさい。

と、仏陀もキリストも諭しているのですよ。
あなただけが生き残ろうなどは、人間最低の考え、強欲ですよ。


ハザードも みんなで死ねば怖くない



カタストロフィは近づいている。
2070年、それは起こる。
間氷期のミレニアムが満期を迎え、いきなり氷期が起こるとき、われわれは一旦死滅する。マンモスのように凍りつく。一瞬で。だが体表面積の小さい小動物であるねずみなどの脊椎動物の種は絶えることはない。そして100万年をかけてまた人類は違う姿でこの世に誕生する。

これが輪廻である。


なにも心配することなどない。



それが見たいけれど、ぼくはそのときもう死んでいる。
運がいいのか、悪いのか?
歴史だけが知っている。



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イメージ 4
安斎正人『縄文人の生活世界』より





































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