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Channel: 民族学伝承ひろいあげ辞典
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縄文土器は煮炊用だったか

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実は縄文土器が調理器具だったかどうかは、まだはっきりとわかっていない。
有機物が燃えたらしき焦げや、ススは確かについているものがある。
 
しかしそれがどんな有機物なのか、それが本当に食品の焦げなのかは、まだわかっていない。
煮炊きしたままの状態での土器発掘はいまだに皆無なのである。
 
さらに、縄文土器は非常に持ちにくい形をしており、もし火にかけてから熱い土器を動かそうとしても、持ち手もなく、また棒を添えるような深い縁がないもののほうが多い。調理が済んで食べ物を冷ますなら、重たい土器を一旦炉からおろさねばならない。しかし持ちたくても、重いし、熱いし、どうにもならない形のものばかりである。
 
しかもこれらの深い鉢が鍋だったにしても、今度は熱い鍋の中身をよそう小皿や小鉢が後期以前にはまったく見つかっていない。
 
弥生土器の場合、デザインもシンプルだし、実用性が高く、使うたびに破棄していたことがわかっている。いちいち洗って再使用したり、自分の食器というような意識は古代人にはなかったとすれば、縄文土器もそのつど破棄されたかも知れない、そうなると食べ物がこびりついた破片がもっと出てこなくてはなるまい。
 
調理ではなく、果実のあく抜きや酒の醸造のような、加工品の貯蔵用だったものはある。
しかしあきらかにススがついているものがあるから、火にかける専用のものがあったことは間違いない。
もちろん調理に使うなら、簡素な専用のデザインのものを使っただろう。複雑なデザインのものを実用に使う可能性は低いだろう。火炎土器などはやはり祭祀に用いただろう。
 
要するに土器編年や形式分類はすすんだが、その使用法がまったくわかっていない。
最初から調理や食事用の道具だったはずはない。初期はただの容器である。食事も当然初期は生で、やがて火で焼き、海水塩の物々交換が発達していく。肉だけなら焼けばいいのだから、実は鍋などいらなかったはずだ。ということは塩を作ったりするために使われだして、それから煮物の発想になっていくはず。
 
 
ここから先は考古学だけではだめで、調理の歴史学が必要になる。道具をどう使うのかは発掘屋ではわからない。そこは民俗学と料理人、技術者の出番になる。実際に使ってみなければわからない。
 
 
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